2015年のドイツ作品で、英語ではSECOND CHANCE(2回目のチャンス)という題名が付けられています。
何が2回目のチャンスなのか。誰にとっての2回目のチャンスなのか。映画を見終わった後、その答えは一つではなく、見る人によって、きっと違う答えが出てくると思います。
我が子への愛情とは?家族とは?人間とは?と様々なことを考えさせられるので、深刻なテーマの映画が嫌いでなければ、ぜひ一度見てほしい作品です。
子どもを持つ人なら特に、この作品を通して多くのことを感じ、深く考えさせられることでしょう。
真夜中のゆりかご
主人公のアンドレアスは刑事で、妻のアナと、産まれて数か月の赤ちゃんアレクサンダーと3人で暮らしています。
アレクサンダーは夜泣きがひどく、毎晩外に連れ出してあやさなくてはならなかったため、アナは精神的にかなりまいっているようでした。
アンドレアスが代わりに外に連れていくこともありましたが、それでもアナの負担は大きく、アナは時々、癇癪をおこしたようにわめき、アンドレアスに当たり散らすことがあったのです。
アレクサンダーとほぼ同じくらいの赤ん坊を持つもう1組の家族がいました。父親のトリスタンはドラッグ中毒で、妻のサネに暴力をふるい、時々サネにもドラッグを無理やり注射していたのです。サネは息子ソーフスの面倒をみようとしますが、トリスタンがそれを許さず、ソーフスは自分の糞尿にまみれ、ミルクもろくに与えられず、泣いても抱いてもらうこともなく、押し入れやトイレの中に放置されているような状況でした。
刑事のアンドレアスがトリスタンの家に踏み込んだ時、糞尿まみれのソーフスを見つけます。虐待の疑いでトリスタンとサネを逮捕しますが、ソーフスの栄養状態がそれほど悪くないと判断され、二人はすぐに釈放されてしまったのです。
ある時、アンドレアスの妻アナが「アレクサンダーが息をしていない」と叫びます。アンドレアスが確認するとアレクサンダーは既に死亡していました。
救急車を呼ぼうとするアンドレアスをアナは止めます。
「息子を連れていかれたら私は自殺する」
アンドレアスは妻のために、通報をやめて、息子の死を隠すことにしたのでした。
妻のために、アンドレアスはあることを思いつきます。
それは、あのドラッグ中毒のトリスタンの赤ん坊と死んだアレクサンダーを入れ替えてしまうことです。
糞尿まみれでミルクも与えられず虐待されているソーフス。このままではソーフスが殺されてしまうのは時間の問題だと思われました。それならば、自分の死んだ息子のアレクサンダーと取り替えてしまおう。
アンドレアスは、ドラッグにおぼれ眠りこけるトリスタンとサネの家に侵入し、糞尿まみれでトイレの床に置かれたソーフスと死んだアレクサンダーの服を取り替え、アレクサンダーの顔にソーフスの糞尿を塗りつけます。
そして、ソーフスを自分の家に連れ帰ったのでした。
妻のアナのために、ソーフスを盗んできたアンドレアスでしたが、アナは驚き、拒みます。
アンドレアスは「僕たちは子どもを失い、あいつらは子どもを殺すんだ」と言い、これはソーフスを救うことにもなるのだとアナを説得しました。
理不尽。まさに、これがアンドレアスの気持ちでした。
子どもを愛して育てている僕たちが子どもを失ったのに、虐待しているトリスタンの子どもは生きている。そして、このままでは殺されてしまうかもしれない。それならば、その子どもを死んだアレクサンダーの代わりに僕たちが育てることが正義なんじゃないのか。
アナは「私に育てられるかしら」と不安な表情を残しつつも、ソーフスを受け入れることにしました。アンドレアスはこれで前と同じように暮らしていけると安堵するのでした。
一方、トリスタンとサネはソーフスが死んでいることに気付き、動揺します。トリスタンは「ばれたら刑務所行きだ」と、自分が警察に捕まることばかり心配しますが、サネは死んだ赤ちゃんがソーフスではないとトリスタンに訴えます。
「死んだら顔は変わるんだ」トリスタンの言葉にも、サネは「ソーフスじゃない」「ソーフスは生きている」「この子は自分の子ではない」と言い続けます。
トリスタンはこのままでは刑務所行きになると、死んだ赤ん坊を森に埋め、ソーフスが誘拐されたと偽装しようとします。
公園にベビーカーを押していき、男が自分の赤ちゃんを連れ去ったと叫び、追いかけるフリをしますが、すぐに偽装はバレて、トリスタンとサネは警察に捕まってしまうのです。
サネは警察でもソーフスは生きていると主張を変えず、鎮静剤を打たれても、ソーフスはどこかにいる、生きているはずだと叫び続けました。
サネ自身はソーフスを虐待したことはなく、トリスタンによって育児を妨害されていたにすぎなかったのです。サネは深くソーフスを愛していたのでした。
ある夜、橋の上でベビーカーを押したアナがトラックの運転手に「この子が肺炎になりそうなので、車に乗せてほしい」と懇願し、運転手が赤ちゃんを抱いてトラックに向かおうと後ろを向いた隙に、橋の欄干を飛び越えて自殺してしまいます。
妻のアナを失ったアンドレアは自分の母親にソーフスの面倒を見てもらいながら、刑事として働き、ソーフスを育てるのでした。
遂に、トリスタンが死んだ赤ちゃんを森に埋めたと自供し、警察犬が埋められた遺体を発見します。遺体は司法解剖にかけられますが、突然死だと信じていたアレクサンダーの死因が実は、激しく揺さぶられたため肋骨が折れ、頭蓋内出血を起こした殺人だったということが判明。アンドレアスは妻のアナがアレクサンダーを殺したという真実を知り、ショックを受けるのです。
アナは育児ノイローゼだったのでしょう。アレクサンダーを揺さぶり、殺してしまったのです。それを隠すために、突然死を装い、通報を恐れたのです。それを知らずにアンドレアスが新しい赤ちゃんを連れてきたことで、アナは追い詰められ、自ら死を選んだのでした。
アンドレアスの刑事の相棒シモンは、アンドレアスの様子がおかしいことに気付いていました。
トリスタンの取り調べ中にアンドレアスがソーフスの名前を「アレクサンダー」と言い間違えてしまったことに違和感を感じ、以前、アレクサンダーを抱っこさせてもらった時の写真を今の赤ちゃんと比較することで、アレクサンダーが入れ替わっていることを確信したのです。
シモンに気付かれたことで、アンドレアスはソーフスをサネに返し、謝罪することを決意。サネは生きていると信じていたソーフスを胸に抱き、涙を流すのでした。
数年後、アンドレアスは刑事をやめ、ホームセンターで働いていました。そのホームセンターにサネが買い物にやってきます。サネが引いてきたカートの傍らに小さな男の子が立っていました。
名前は?と尋ねるアンドレアスに、その男の子は「ソーフス」と答えます。
とても可愛いらしく、とても幸せそうに成長しているソーフスを見て、アンドレアスはとても優しく微笑むのでした。
母と子。父と子。家族。幸せとは何なのか。愛情とは何なのか。この映画には問いかけがたくさんあります。
自分の家族や自分自身を見つめなおすことができる映画の一つだと思います。
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