実際に起こった事件をモチーフにしている作品ですが、一つの事件を特定しているわけではなく、複合化されているため、具体的にどの事件をベースにしているのかは明らかにされていません。
主な部分は「池田小児童殺傷事件」の宅間守 元死刑囚の父親をモデルにしているのではないかといわれています。
見る前はとてもおどろおどろしい映画かと思ったのですが、凄惨なシーンは最後の方に少しだけ。
ほとんどが事件前の葛城一家と、裁判後に獄中結婚した女性と葛城家の父、母の姿を描いているので、怖い映画が苦手という人でも、それほど抵抗なく見ることができると思います。
この映画は通り魔事件を起こした死刑囚の家族とその悲哀を描いたものです。
家族とは。父親とは。人間とは。
なぜ彼は通り魔になってしまったのか。
この映画は強く問いかけてきます。
そして、映画を通して、「通り魔を作り出した家庭環境」というものを、私たちはとてもわかりやすい形で目にすることができるのです。
葛城事件 |
葛城事件
葛城清(三浦友和)は親から譲り受けた金物屋を営む傲慢で横暴な父親でした。
妻の伸子(南果歩)は圧倒的な清の存在の前に委縮して、抑圧された生活を強いられ続け、いつしか精神を少しずつ病んでいきます。
清と伸子には息子が二人。
長男・保(新井浩文)は父の望み通り大学を出て広告代理店に就職、営業職につき、結婚して子どもが二人。次男・稔(若葉竜也)は引きこもりで、「一発逆転」が口癖でした。
ある時、保とその妻、妻の両親、清の5人が中華料理店で食事をしていました。
料理がいつもより辛いと清が難癖をつけ、中華料理店で怒鳴りちらします。保の妻とその両親は清の姿に驚き、あまりに激しい清の口調に引いてしまいます。
このシーンは清の性格をとてもよく表しています。
普通の人にはどうということがないことでも清は自分の主張を強く押し付け、暴言を吐き、周囲を圧倒していきます。
周りから煙たがられ、はじき者にされますが、家庭の中では暴君のように君臨し、家族はその脅威から逃れることはできないのです。
その食事の間、保の子どもを伸子が自宅で預かっていたのですが、子どもが顔に怪我を負ってしまいます。
追いかけっこをしている最中に誤ってテーブルの角に顔をぶつけたと伸子は必死に言い訳しますが、稔が紙に「おれがなぐった」と書いて保に投げつけるのでした。
清は伸子を殴りつけ「お前は稔に甘すぎるんだよ。だからこういうことになるんじゃないか」と怒鳴りつけるのでした。
耐えかねた伸子は稔と共に家を出てアパートで密かに生活を始めます。保によってその隠れ家が清にばれてしまうのですが、清がアパートに到着するまでのほんの短時間、伸子と稔と保の3人が、ごく普通の、愛に満ちた平凡で幸せな家族のように小さなテーブルを囲みます。
清の存在がすべてを狂わせてしまったのだと、清不在の3人の姿が物語っていたのです。
順風に見えた保でしたが、営業不振で会社からリストラにあい、そのことを誰にも言えず追い詰められていき、遂には自ら命を絶ってしまいます。
保の葬儀で伸子が保の妻に言います。
「どうして気付いてあげなかったの?あなた。あなたの責任よ。あなたが保を殺したの」
すると保の妻は伸子に言い返します。
「嘘つき。どうしてこうなったか、本当はわかってるんでしょ」
保の死はもちろん生育環境である清と伸子のせいでもあり、妻が子どもにかかりっきりで保の方をあまり向いていなかったせいでもあり、どちらにも少なからず責任はあるでしょう。
通夜で、お互いに責任を押し付けあう妻と母。保の救われなさに胸が痛むシーンです。
稔は放火事件を起こしたり、問題行動をエスカレートさせていきます。
遂にはサバイバルナイフをネット購入し、地下鉄の構内で通り魔事件を起こし、死刑の判決を受けることになってしまうのです。
この映画のもう一つの軸となるのは、稔が死刑囚となった後、獄中結婚した死刑反対の信念を持つ星野順子(田中麗奈)の存在です。
順子と稔、順子と清、順子と伸子の関りから葛城家の異常さが少しずつベールをはがすようにゆっくりと浮き彫りにされていくことになります。
稔が死刑囚になった後、伸子は精神を病んで入院。車椅子に座りながらほとんど寝たような状態で、残りの人生を細々と過ごしていました。
清は相変わらず横暴で、スナックに飲みに行ってはトラブルを引き起こします。
稔は死刑囚となって投獄されても一切反省の色はなく、面会に行く度に順子に暴言を吐き続けます。
そして、稔は自ら死刑の早期執行を希望し、死刑が執行されたのでした。
この映画で清が「俺がいったい何をした」と怒鳴るシーンがあります。
稔を通り魔に駆り立てたのも、保が自殺したのも、伸子が病んでしまったのも、この父親あってのことだと映画の観客は皆思うでしょう。
家庭環境が人間を作る。
父親が、母親が家庭を崩壊させる。子どもを壊す。
映画『葛城事件』は、そのことを強く訴えてくるのです。
この映画を見て、私たちは自らと自らの家庭をもう一度、省みることができるかもしれません。
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