音羽幼女殺害事件 ママ友がママ友の子どもを殺害
1999年11月22日、文京区音羽でその事件は起こった。
幼稚園のお迎え時、ママAはママ友との立ち話に夢中で、下の子B子ちゃん(2歳)から目を離してしまった。B子ちゃんがいないことに気付いたママAはママ友や幼稚園の職員と一緒にB子ちゃんを探し回ったが、見つからなかった。
11月25日、その幼稚園に子どもを通わせるママCが警察に自首し、B子ちゃん殺害と死体遺棄を供述したため、静岡県の山林を警察が捜索し、遺体となったB子ちゃんを発見したのだった。
ママAとママCは幼稚園入園前からの友だちであった。
つまり、ママ友がママ友の子どもを殺害したのである。
犯人のママCはB子ちゃんが一人になったところに声をかけて誘い出し、隣の寺の公衆トイレに連れ込み、マフラーで絞殺した。そして、持っていた大きなバッグにB子ちゃんの遺体を入れ、B子ちゃんを探し回るママ友の「B子ちゃん知らない?」という言葉に、平然と「知らない」と答え、帰宅したのだった。
殺すつもりはなかった。計画的ではなく、衝動的だったと犯人のママCは主張しているものの、子どもが入るほどの大きなバッグを持参している点から考えても、計画的犯行だったという推測は消すことができない。
なぜママ友の子どもを殺したのか?
犯人のママCと被害者ママAは幼稚園に入る前からのママ友であった。
公園デビューで仲良しになった二人だったが、犯人のママCは内向的性格で、人とのコミュニケーションを取るのが下手なタイプ。被害者のママAは社交的で、人間関係を作るのが上手いタイプだったという。
幼稚園に入ると、被害者ママAには友だちがたくさんできていった。一方、犯人のママCは友だちがうまく作れず、入園前からのママ友Aが他に交友関係を広げ、自分との距離感が遠くなったことに、疎外感や嫌悪感を抱くようになる。
何気ない言葉、決して嫌味でもない言動なのに、犯人ママCは被害者ママAからの言動を全て悪意に受け取り、被害者意識をつのらせていったという。
元々、犯人のママCは性格的に潔癖で、完全主義のところがあり、自身が看護師として看病していた患者の死を受け止められず引きこもりになったほどだった。看護師ならば、患者の死に接するのは避けられないことであり、一人の死に対して病んでしまったら仕事にはならない。普通の看護師であれば患者さんの死を受け止め、それでも多くの人を救うために前に進むであろう。ところが、ママCにはそれが耐えがたく、心を病んでしまったようだ。
結婚してからも夫はママCの子育ての手助けは一切せず、ママCの悩みにも全く向き合ってくれなかった。ママCは孤立し、次第に追い詰められていったのではないか。
仲が良かった者ほど、その仲がこじれると憎しみは深くなるものだ。ママCにとって、唯一のママ友だったママAが他のママ友と楽しく交流することは耐え難いことだったのだろう。
そして、母親にとって最も大切で、最も愛する子どもを殺すということは、その子の母を生きながら殺すことであり、小さな2歳の子どもを殺すのは大人の母親を殺すことより遥かに容易だったに違いない。
この事件の犯人はかなり特異な性格の持ち主だとはいえ、いつ何時、このようなママ友同士の感情のもつれ、拗れ、憎しみの燃え上がりが起こるとも限らない。
「殺す」まではいかなくても、同様の感情を少なからず胸に抱いている人は、案外、あなたのそばにもいるのかもしれない。
栃木ママ友いじめ 二人のママ友が1週間の間に相次いで自殺した事件
2015年、栃木県佐野市にある小学校で、1週間の間に二人の母親が相次いで自殺するという事件が起こった。
この小学校は児童数が70人ほどの小さな小学校。70人ほどしかいない母親のうち、二人が自殺するという事態は異常以外の何ものでもないだろう。
ママFとママGは親友で、子どもがともにいじめられて不登校になっていた。子どものいじめ被害を学校に訴えたところ、母親たちからママFとママGへのいじめが始まる。
「母親失格」となじられたり、LINEグループで悪口を言われたり、子どもだけでなく、母親のママFとママGもいじめられることになってしまったのだ。
「母親失格」となじられたり、LINEグループで悪口を言われたり、子どもだけでなく、母親のママFとママGもいじめられることになってしまったのだ。
先に自殺したのはママFだった。
ママFの首つり姿を発見したのは小学校4年生の娘だったという。
ママFの首つり姿を発見したのは小学校4年生の娘だったという。
その後開かれた学校の保護者の集まりで、ママGは他の母親から「あなたはどうするの?」と言われた。「Fさんは自殺したのに、あなたは自殺しないの?」という意味だと理解したママGは泣きながら帰宅し、翌日自殺。
発見したのはやはりママGの子どもであった。
発見したのはやはりママGの子どもであった。
この二人の自殺の大きな原因となったのが、ママHだと言われている。
いわゆる学校のボスママであるママHは学校に影響力を持ち、母親グループの中心的存在であった。
いわゆる学校のボスママであるママHは学校に影響力を持ち、母親グループの中心的存在であった。
このボスママHに目をつけられてしまった二人は、小さな学校の中で完全に孤立し、死に追いやられてしまったのだろう。
ボスママはいる。どこにでも。
その力の及ぶ範囲は人によって違うものの、ほとんどの幼稚園や学校にボスママは存在している。
そういうボスママに目をつけられてしまったら、いわゆる村八分にもされかねない。特に人数の少ない幼稚園や学校では、孤立してしまうと、他に逃げ道がなくなってしまう。
ボスママから目をつけられないよう距離をおくか、いっそボスママの仲間になってしまうしか生き残る道はないのかもしれない。仲間になったところで、気に入らないことがあれば追い出される。女王気取りでザコママを従えているボスママにはくれぐれも注意しなくてはならない。
アメリカ チアリーダー ママ友殺害教唆事件
1984年、アメリカで起こったママ友殺害教唆事件は、ワンダ・ハロウェイとヴァーナ・ヒースという二人の同級生と、その二人の同い年の娘のチアリーダー争いから起こった事件である。
アメリカではチアリーダーになることは女の子たちにとって最高のステータス。ヴァーナは高校生時代チアリーダーを務め、資産家と結婚。ワンダはチアリーダーに憧れながらも父親の反対によりチアリーダーにはなれず、その後、結婚、そして離婚。離婚によってワンダが偶然にもヴァーナの隣の家に引っ越してきたことから、この悲劇は始まったのだ。
二人の娘は共にチアリーダーを目指していた。実力はほとんど同等で、差はなかった。ところが、裕福なヴァーナは寄付や応援グッズの配布により、オーディションでチアリーダーの座を勝ち取り、ワンダの娘は常にヴァーナの娘の次点となり落選。
中学校ではワンダの娘は公立、裕福なヴァーナの娘は私立、これでやっとワンダは娘がチアリーダーの座をつかめるだろうと期待を高めていた。
ところが、ヴァーナの娘が公立に転校してきたのである。
私立ではチアリーダーのレベルが高く、娘がチアリーダーの座をつかめそうにないと判断したヴァーナはレベルの低い公立に学校を変更してきたのだ。
そして、また同じことが繰り返される。
中学校のチアリーダー選考でヴァーナの娘が選ばれ、ワンダの娘は次点で落選したのであった。
ヴァーナが学校の友達に応援グッズを配って、チアリーダー選考の投票を多く得ていたことを知り、翌年、ワンダも娘の応援グッズを作って配ったのだが、この年から応援グッズは禁止となっていた。そのルール改正を知らなかったワンダの娘は、ルールを破ったペナルティでチアリーダーになることはかなわなかった。
それだけではなかった。ワンダがルール違反を犯し、応援グッズを配っていることを学校に告げ口したのが、ヴァーナだったのだ。それを知ったワンダは元夫の弟にヴァーナの殺害を依頼する。
元夫の弟が警察に録音テープを提供したことにより、殺害は未遂に終わり、ワンダは殺人教唆の罪で逮捕されたのである。
自身の高校時代から、自分の娘の代にまで及ぶ、長期間で度重なる挫折と劣等感、嫉妬がついに殺人にまで発展したこの事件だが、ここにもママ友間によくある感情が見え隠れする。
子どもにされたことは、自分自身にされたことの数倍の憎しみとなる。
子どもにではなく、自分自身に嫌がらせをされただけなら、殺意までは抱かなかったかもしれない。だが、子どもの挫折、悲しみは、数倍の激情を母親にもたらすものだ。
子どもの将来を潰すようなママ友のやり方をワンダは許せなかったのではないか。ワンダ自身の夢でもあったチアリーダーだからこそ、自分の娘にその夢を託していたのだろう。
ヴァーナにはさほど悪気はなかったようであるが、いじめというのは往々にして加害者側には大きな意識はないものだ。
いじめる方は、その言動がそんなに多大なダメージをいじめられる側に与えるなんてことは予測していない場合が多い。
いじめる方は、その言動がそんなに多大なダメージをいじめられる側に与えるなんてことは予測していない場合が多い。
意識していないからこそ、そのいじめは続き、エスカレートしてしまうのかもしれない。
ママ友事件に学ぶ
ママ友事件はママ友の間で起こる。小さなコミュニティの中で起こる。
事件を起こした加害者は、事件を起こす前は被害者であることも多い。
誰にでも起こりうるちょっとした感情のもつれの積み重ね。それが事件の引き金になる。
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